In medio stat virtus

雰囲気研究者です。

趣味の話

人は忘れたくないと思う衝動から、さまざまな媒体へなにかと書きつけたくなるのだと思う。

研究とは関係ない趣味の話。

 

NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET reunion
The revolution also not be computerized in Jazz公演を聴きに、初めてblue note Tokyoへ行った。

ジャズを生で聴くのは初めてだったけれども、あぁジャズって空間全体と身体全体で味わえるものなのだと震え上がる経験をした。
セッションが始まってすぐに、パワフルで情熱的な音の洗礼を受ける。
かと思うと、高くみずみずしく弾ける音や、小さくスモーキーな音を繰り広げるトランペットに感嘆させられる。
複雑で混沌とした実験的な音の組み合わせに、ともに迷いこむよう誘われる。
リアルタイムのダブ処理が、気持ちよさと悪夢を反復させていき、時に激しく官能的になる。表現は不適切だが、はじめて音を聴いて孕むかと思った。
悩まされ苦しくなると、時に優しい旋律や魅力的なソロへ、そして照明の変化が私の盲目的な鑑賞をほぐしてくれて、流れを変える。
いくら自宅で良いプレイヤーで音を再生したとしても、この空間的な対話は楽しめないだろう。来てよかった。

途中で、菊地成孔たちが次々とステージを去り、ダブ音だけが鳴り響くシーンがあった。
ライブの中で無の時間を作る演出は十牛図を彷彿とさせた。激しい音の受粉とプレイヤーの存在と無が繰り広げられる空間演出は、十牛図のように真の自己もとい真の音へ迫っているプロセスなのかもしれないと、音の生と死を考えさせられた。

技法が光る生きた音とダブ音との境目が時にわからなくなるほど音が激しくマリアージュしたときの興奮はひとしおだった。
あぁ、本当に素晴らしい時間を過ごすことができた。


菊地成孔とは母校が同じで、私が高校生の時に彼が演奏しに来校したことがある。
その時の彼が奏でる官能的な音と強烈な大人の香りがする香水に圧倒されて以来、私は彼の曲を大人に近づく教科書としても楽しんできた。
彼は「この20年、皆さんにも色んなことが起きたと思います」と口にした。
確かにいろんなことがあった。
私は彼を知ってから13年しか経っていないが、こうして大人になって、blue note tokyoで彼の曲を聴ける日がきたことが、一つの節目のように思えて心から嬉しかった。
素晴らしい1日だった。
購入したレコードは、実家で聴かせてもらおう。

 

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